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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)56号 判決 1988年12月22日

原告

総評全国一般労働組合神奈川地方本部

右代表者執行委員長

三瀬勝司

右訴訟代理人弁護士

堤浩一郎

森卓爾

川又昭

山内忠吉

畑山穣

稲生義隆

根岸義道

岩橋宣隆

小口千惠子

山田泰

伊藤幹郎

星山輝男

林良二

輿石英雄

被告

中央労働委員会

右代表者会長

石川吉右衛門

右指定代理人

萩澤清彦

吉田清弘

村田勝

被告補助参加人

三菱電機株式会社

右代表者代表取締役

片山仁八郎

右訴訟代理人弁護士

松崎正躬

滝川誠男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が、被告補助参加人三菱電機株式会社及び三菱電機株式会社鎌倉製作所を再審査申立人、原告を再審査被申立人とする中労委昭和五八年(不再)第一四号事件並びに原告を再審査申立人、被告補助参加人三菱電機株式会社及び三菱電機株式会社鎌倉製作所を再審査被申立人とする中労委昭和五八年(不再)第一六号事件について、昭和六〇年二月二〇日付けでした別紙命令書記載の命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨。

第二、請求の原因

一  神奈川県地方労働委員会は、原告を申立人、被告補助参加人三菱電機株式会社(以下「会社」ともいう。)及び同鎌倉製作所(以下「鎌電」ともいう。)を被申立人とする神労委昭和五七年(不)第四号不当労働行為救済申立事件について、昭和五八年三月二八日、「被申立人三菱電機及び同鎌倉製作所は、申立人が申し入れた申立人組合の組合員伊藤勇(以下「伊藤」という。)の解雇問題についての団体交渉を拒否してはならない。申立人のその余の申立(注・ポストノーティスの申立を指す。)を棄却する。」との命令をした。

二  被告補助参加人らは、右団体交渉の拒否を禁止する部分について、原告は、ポストノーティスの棄却部分について、それぞれ、被告に再審査を申し立てたところ、被告は、中労委昭和五八年(不再)第一四号、第一六号事件として受理し、昭和六〇年二月二〇日、別紙命令書のとおり、神労委の初審命令を取消し、原告の救済申立を全部棄却する旨を命令した。

三  被告がその理由として説くところは、「会社としては、当初、伊藤が所属していた三菱電機労働組合鎌倉支部(以下「支部」という。)と労働協約の定めに基づき協議を行い、その後は、右協議結果を不満として伊藤が提起した訴訟に長年対応してきていたものであってみれば、伊藤の解雇問題については裁判によって決着をつけるべき事柄であると考えていたとしても無理からぬものと思料される。かかる状況において、支部とは別の組合から、卒然として伊藤の解雇問題を交渉事項とする団体交渉が申し入れられたことに対し、解雇から長年月を経ていることを理由に会社がこれを拒否したことには正当な理由があるものと解するのが相当である。」というものである。

四  しかし、右判断は、裁判係属中の事項については団体交渉の対象たり得ないと解するに等しく、流動する労使関係における自主交渉としての団体交渉の意義を理解しないもので、誤りである。労働者の団体交渉権は、憲法二八条が保障する労働基本権の一つであって、労働者の団結権、争議権を背景に使用者と交渉することによって流動化する労使関係の自主的解決を図る必要不可欠な労働者の基本的権利として認められたものである。裁判係属中であるからといって団体交渉拒否の正当事由となり得ないことは、東京高裁昭和五七年(行コ)第一号事件についての判決や被告が昭和五二年(不再)第八四号事件についてした命令によっても明らかである。裁判と団体交渉とは、その目的、機能を異にするものだからである。そして、労働者に団体交渉権を認めることの反面として、使用者には団体交渉応諾義務が課せられるのである。

また、被告がその前提として認定する事実については、それ自体に誤りはないが、原告が指摘した多くの問題点、すなわち、会社と支部が労働協約に基づいて行った協議は、会社と支部が結託して伊藤を転任させるために単に回数を重ねた形式的なものに過ぎないこと、右協議においては、伊藤の転任、解雇が同人の組合活動を嫌悪した不当労働行為であるという伊藤の最も協調していた事項を全く取り上げていないこと、伊藤は、二三回の協議のうち一回しか傍聴を認められておらず、協議自体が同人の意向を反映していないものであること、会社は、協議の議事録を一部しか提出しておらず、協議自体が内容のないものであったこと、会社と支部の間では、対象に制約のある協約に基づく協議を離れて、更に団体交渉を継続することが可能であったにもかかわらず、これが行われていないこと、などを看過している点で違法である。

五  次に、被告は、ポストノーティスの申立を棄却した初審命令を維持しているが、ポストノーティスは、不当労働行為が認定された場合には、これによって侵害された団結権を回復し、不当労働行為の「やり得」を防止するために、原則として必要的なものである。そして、被告補助参加人がした団体交渉拒否が不当労働行為となることは、前述のとおりであるから、不当労働行為の禁止と併せてポストノーティスの命令がされるべきであり、これを棄却した初審命令を維持した被告の判断は、裁量を誤った違法なものである。

第三、請求の原因に対する被告の答弁

一  請求の原因一ないし三は、いずれも認める。

二  同四のうち、原告主張の判決及び命令があったこと、会社と支部間の協議において、伊藤の転任、解雇が同人の組合活動を嫌悪してされた不当労働行為であることについては協議されていないこと、伊藤が傍聴を許されたのは一回のみであること、会社が協議の議事録を提出しなかったこと、会社と支部の間では、その後、伊藤の解雇問題について団体交渉が開かれていないことは、いずれも認めるが、その余は争う。

三  同五の主張は争う。

四  被告がした命令は、労組法二五条、二七条に基づいて発せられた行政処分であり、処分の理由は別紙命令書記載のとおりであって、認定した事実及び判断に誤りはない。

第四、被告の主張

一  解雇された労働者がその解雇を争っている限り雇用関係は完全に消滅したものでなく、したがって、右労働者の所属する労働組合が当該解雇について団体交渉を申し入れたときには、使用者は応諾する義務があり、「雇用する労働者」に当たらないとして申入れを拒否することは不当労働行為となるというのが確立した見解である。しかし、この見解は、解雇された労働者が解雇の意思表示後直ちに、或いは解雇があり得ることを事前に予測して、労働組合に加入して解雇を争っている事案を前提としたものであって、右見解の考え方を限りなく押し進め、解雇を争っている限りは時間的経過は問わないことになると、逆に労使関係そのものの性格にも反することになる。そこで、被告は、単に時間的経過の長短のみならず、組合の対応の仕方、その他労使関係に関する全般の状況を考慮して、右見解が妥当するのは、労働者が解雇された後社会通念上合理的な期間内に組合から使用者に対して団体交渉が申し入れられた場合であると解するに至っている。

二  これを本件について見るに、伊藤の転任問題については、当時、伊藤が所属していた支部と会社との間で労働協約所定の協議を行ったが不調に終わった。それ以降、伊藤は、会社を相手方として横浜地裁に転任命令効力停止の仮処分を申請し、解雇された後は地位保全の仮処分に変更して、いわゆる裁判闘争を行ってきた。解雇直後の昭和四八年二月初めに「伊藤さんを守る会」が結成され、伊藤は、この守る会の支援を得て右闘争を続けてきたが、解雇後約七年七か月を経た昭和五五年九月一日に至り原告組合に加入した。しかし、原告組合は、その後一年三か月間も会社に対して団体交渉の申入れをせず、原告組合湘南地域支部らが三菱争議支援共闘会議を結成し、以後は、この共闘会議が中心となって抗議行動や会社に対する交渉申入れを進めてきた。ところが、会社が支援共闘会議の交渉申入れに応じない事態が発生したことから、昭和五六年一二月一一日に至り、初めて原告組合の名において伊藤の解雇問題についての団体交渉を申し入れたのである。

三  右のような経緯に鑑みると、伊藤が解雇された後社会通念上合理的な期間内に原告組合から会社に対して団体交渉が申し入れられたものということはできず、したがって、会社に不当労働行為制度に基づく団体交渉応諾義務を課する必要はない。

第五、証拠関係<省略>

理由

一請求の原因一ないし三の事実、及び、原告が、昭和五六年一二月一一日、伊藤の解雇撤回を交渉事項として団体交渉を申し入れたところ、会社(具体的には鎌電)が、同月一五日、「伊藤は、昭和四八年一月二九日付けで解雇されて社員ではなくなったこと、この解雇については当時伊藤が所属していた支部と労働協約に則り十分協議済みであり、以来九年近くを経過していること、本件に関し現に裁判所において係争中であること、したがって、団体交渉の必要はないこと」を理由としてこれを拒否したことは、いずれも、当事者間に争いがない。

二そこで、会社が原告の申し入れた団体交渉を拒否したことが不当労働行為となるかどうかについて検討する。

1 労組法七条二号は、「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと」を不当労働行為として禁止している。右規定によれば、団体交渉の拒否が不当労働行為となるためには、少なくとも、使用者が、「雇用する労働者の代表者」と「正当な理由がなくて」「団体交渉を拒否すること」が必要である。ここに雇用する労働者とは、現実に雇用関係にある労働者を指すが、解雇された労働者であっても、その効力に関して紛争が継続しているときは、雇用関係が完全に消滅したものとはいえないから、なお雇用する労働者に当たると解して差し支えない。また、解雇の効力に関して紛争が継続しているときには、裁判において係争中の場合をも含むと解されるから、裁判が係属中であるからといって、その一事で団体交渉を求め得なくなるものではない。被告の命令もこのことを前提としたものであって、裁判が係属中であることのみを根拠にして団体交渉を拒否したことに正当な理由があると判断したものでないことは、その説示に照らして明らかである。

しかし、解雇の効力に関して紛争が継続している限り、解雇からいくら時間が経過しても、また、その間にどのような事情があっても、これらとは関係なく、労働者の代表者は常に団体交渉を申し入れることができ、その反面として使用者には必ず申入れに応ずべき義務があると解するのは相当でない。使用者が団体交渉を拒否しても、正当な理由がないと認められる場合でなければ不当労働行為とならないことは、労組法七条二号の規定から明らかであって、その意味では、団体交渉権も決して絶対かつ無制約のものではないからである。法律上、正当な理由のない団体交渉の拒否のみが不当労働行為となるのである。それゆえ、解雇に関して裁判が係属中で紛争が継続している場合であっても、解雇からの時間の経過やその間の事情いかんによっては、解雇撤回を交渉事項とする団体交渉の申し入れが合理性を欠き、使用者が右団体交渉を拒否したことに正当な理由がないとはいえない場合もあり得ると解される。

そして、正当な理由がないことの主張、立証責任は、団体交渉の拒否を不当労働行為であると主張する者にあるのであって、このことは労組法七条二号の規定の体裁に照らして疑いのないところである。したがって、救済申立棄却命令の取消訴訟においては、原告は、単に棄却命令が違法であるというだけでは足りず、団体交渉の拒否が正当な理由なしにされたことについて主張、立証する責任があることになる。

2  右のような観点に立って、本件解雇から団体交渉申入れまでの具体的な経過及びその間の事情について見ることとする。

被告が認定した事実自体については、原告もこれを認めて争わないところであって、その概要は、次のとおりである。

(一)  伊藤は、昭和三九年四月、高校卒業と同時に、会社の従業員として採用され、鎌電の計算機技術部応用機械技術課に配属され、潜水艦探知装置の磁気測定機の技術開発及び設計の業務に従事してきた。

(二)  伊藤は、昭和四三年七月、支部の専従執行委員に選任され、以来、昭和四七年八月まで、青年婦人対策部及び福祉対策部の部長、支部書記長などを歴任した。

(三)  伊藤は、昭和四七年八月、専従を終えて職場に復帰したが、従前とは異なる電波製造部技術第二課に配置され、そこで速度違反取締用のレーダースピードメーターの開発設計の担当となった。

(四)  伊藤は、昭和四八年一月九日、同月一六日付けで仙台営業所電子課への転任を内示された。これに対し、伊藤は、右転任は、同人の組合活動を嫌悪した不当な措置であること、本人の意向を無視し労働協約に違反するものであること、鎌倉市内の保育園に勤務している妻の離職又は別居を強いる結果となり、生活上支障を生ずるものであることを理由にこれを拒否した。

そして、一月一一日、伊藤は、支部に対しても、同様の理由で転任内示の撤回に取り組むよう要請した。

(五)  会社は、一月一六日、伊藤に対し、同月二九日までに仙台営業所へ転任することを命じたが、伊藤は、これを拒否し、支部に対して前記の拒否理由を骨子とする異議申立書の案文を提出し、労働協約一一条に基づく異議申立をするよう要請した。

(六)  支部委員会は、一旦は、伊藤の転任に関する異議申立を否決したが、再度審議した結果、六〇人中五四人の賛成で異議申立をすることを決定した。そして、支部は、一月二〇日、会社に対し、伊藤の転任命令は労働協約一〇条及び昭和四四年八月の転勤、転任等に関する「覚え書き」に反するものであること並びに労働協約一一条にいう組合員の生活に著しく支障をきたす事由に該当するものであることを理由として、異議を申し立てたが、伊藤の主張する組合活動を嫌悪してされた転任であるとの点は採用しなかった。

(七)  右の異議申立に基づき、会社と支部は、それぞれ担当者が出席して、一月二二日から二五日までの間、一二回にわたり協議をしたが、労働協約に定められている一〇日以内の期間には転任命令が取り消されることなく、結局、協議は不調に終わった。

この間、伊藤が協議の傍聴を許されたのは、一回のみであった。

(八)  伊藤は、一月二六日、会社を債務者として転任命令効力停止の仮処分を裁判所に申請し、その第一回審尋が一月二九日に開かれた。

(九)  会社は、一月二九日の夜、伊藤が仙台営業所に赴任しないことは就業規則七九条九号に該当するとして、同規則六〇条一四号に基づき、同日付けで同人を解雇した。

(一〇)  支部は、伊藤の要請を受け、一月三一日、転任命令に服さなかったことに不当はないとして、会社に対し、労働協約一六条二項に基づき、伊藤の解雇について異議申立を行った。

(一一)  会社と支部は、右異議申立により、二月一日から同月八日まで一一回にわたり協議を行ったが、双方の主張は平行線をたどり、結局、労働協約所定の協議期間の経過によって、協議は打ち切られた。

協議打切り後、伊藤は、支部に対して交渉を継続して欲しい旨を要請したが、支部はこれを拒否し、間もなく、伊藤に対し組合員資格喪失の通知を発した。

(一二)  伊藤は、解雇後、前記仮処分の趣旨を転任命令の効力停止から地位保全に変更して裁判を続けた。

(一三)  二月初旬、鎌電の従業員有志を中心に、会員百数十人の「伊藤さんを守る会」が結成され、その会員により、街頭や鎌電門前でのビラ配布、裁判闘争を維持するために必要な募金活動、右裁判の傍聴などを行った。

(一四)  伊藤は、昭和五五年九月一日、原告組合に加入した。

(一五)  昭和五六年一月三〇日、原告組合の湘南地域支部、鎌倉市職労、国労大船電車区分会などで構成する三菱争議支援共闘会議(以下「支援共闘会議」という。)が結成され、ほぼ月一回の割合で鎌電門前において数百名による抗議行動を行い、時には交渉を申し入れたが、鎌電はこれを拒否した。

(一六)  昭和五六年一一月二〇日、支援共闘会議の東京統一行動において、その代表団が伊藤の解雇について会社本社に交渉を求めたところ、「伊藤事件の交渉窓口は、鎌電の総務部長である」旨をいわれたので、同月二六日、支援共闘会議は、鎌電に対し、伊藤の解雇につき交渉の申入れを行ったが、鎌電はこれを拒否した。

(一七)  原告組合は、同年一二月一一日に口頭で、更に同月一四日に書面で、鎌電に対し、日時・同月一八日午後二時から午後四時まで、場所・鎌電会議室、議題・伊藤の解雇撤回について、出席者・会社側=社長以下交渉権限を有する者、組合側=本部役員、伊藤、支援共闘会議役員合計五名、とする団体交渉を申し入れた。これに対し、鎌電は、同月一五日、冒頭判示のとおりの理由でこれを拒否した。

3  原告は、前項の事実に関連して、(1)会社と支部が労働協約に基づいて行った協議は、会社と支部が結託して伊藤を転任させるために単に回数を重ねた形式的なものに過ぎないこと、(2)右協議においては、伊藤の転任、解雇が同人の組合活動を嫌悪した不当労働行為であるという伊藤の最も強調していた事項を全く取り上げていないこと、(3)伊藤は、二三回の協議のうち一回しか傍聴を認められておらず、協議自体が同人の意向を反映していないものであること、(4)会社は、協議の議事録を一部しか提出しておらず、協議自体が内容のないものであったこと、(5)会社と支部間では、対象に制約のある協約に基づく協議を離れて、更に団体交渉を継続することが可能であったにも拘わらず、これが行われていないことなどを主張する。

しかし、会社と支部が合計二三回にわたって行った協議は、労働協約所定の異議申立規定に基づいてされたものであるが、それが両者が結託して単に回数を重ねただけの形式的なものであることを認めるべき証拠はないし(議事録が一部しか提出されていないからといって、協議自体が内容のないものであったとはいえない。)、<証拠>を総合すれば、転任に関する異議申立においては、組合活動を嫌悪した不当労働行為であるとの点については、伊藤の強い主張にも拘わらず、支部が異議申立の理由としては取り上げなかったが、それは、現に組合役員でない伊藤については「転任が組合活動に著しく支障を与えると認めるとき」という異議申立の規定は妥当しないとする考えをとったためで、それでも支部としては、協約所定の協議期間内だけでなく、その終了後も、伊藤本人と鎌電のトップによる話合いの機会を設け委員長がこれに立ち合うなどして、可能な限りの努力をし、人選問題を含めた配転の合理性についても議論を尽くしたことが認められる。また、右協議において伊藤本人の傍聴を一回しか認めなかったことは当事者間に争いがないが、転任や解雇に関する異議申立を定めた協約の中には本人の傍聴を認める旨の規定がないことが認められるから、特に問題とするに足りない。

更に、これらの異議申立が不調となって終了した後には、伊藤の解雇問題を交渉事項とする団体交渉が行われていないことは、当事者間に争いがない。しかし、会社から進んで団体交渉を求めなければならない筋合いはないし、支部が協約に定める異議申立のほかに特に団体交渉の申入れをしていないことは、支部自体としてはその必要性がないか又は当時の労働協約のもとでは不可能であると判断したためであると解されるが、仮にこの点が別組合から事後的に見て問題であるとしても、そのことから当然に別組合が団体交渉の申入れをすることができることにはならず、それは、その後の時間の経過やその間の事情等に基づいて別個に検討されるべき事柄である。

4  以上で見たところによれば、本件解雇に関しては、当時伊藤の所属していた支部が、その撤回のために労働協約の範囲内で可能な限りの努力をしたが、これを撤回させるに至らなかったもので、伊藤自身、労働組合から何らの支援、助力も受けなかったというものではなく、会社としても、支部の求めに応じて誠意を持って協議に応じたものということができる。ところが、伊藤は、転任に関する会社と支部の協議が決裂すると同時に裁判所に仮処分を申請し、解雇後は、専ら裁判や街頭での支援活動に依存して解雇撤回の闘争を続けてきたもので、団体交渉その他の正規の労使関係を前提とする解決方法については、全く念頭にない状態が続いてきたと見て差し支えがない。しかも、右のような状態は、伊藤が支部から組合員資格喪失の通知を受けていずれの組合にも所属しないこととなった七年七か月の期間だけでなく、原告組合に加入した後も一年三か月間にわたって継続したものであって、結局、団体交渉の申入れは解雇から八年一〇か月の長期間を経過して漸く行われているのである。現行法上、団体交渉権には時効や除斥期間の定めはなく、団体交渉を申し入れるかどうかは、労働組合が自主的に決定し得ることではあるが、右申入れが対象たる事実の発生から八年一〇か月もの長期間を経過した後に行われることは、極めて異例であって、団体交渉制度がこのような場合までをも予想したものといえるかどうかは疑問である。

もっとも、右のように長期間を経過した場合であっても、その時点で団体交渉を申し入れるのも尤もであると認められるような特別の事情があるときには、長期間を経過したこと自体は必らずしも団体交渉申入れの支障にはならないと解する余地がないではない。しかし、本件では、解雇から組合加入まで七年七か月の期間を経過したことについて何らかの無理からぬ事情があったことを認めることはできないし、組合加入から団体交渉申入れまでの一年三か月の期間についても、その大部分は支援共闘会議が中心となって抗議行動や交渉の申入れを繰り返してきたことは前述のとおりであって、原告自身による団体交渉の申入れに格別の障害があったことを認めるに足りる証拠もないのである。したがって、原告としては、伊藤の組合加入によって初めて団体交渉の申入れが可能となったもので、しかも、組合加入から団体交渉の申入れまでは一年三か月の期間しか経過していないとしても、そのような事実のみでは、解雇から八年一〇か月もの長期間を経過した時点で団体交渉を申入れたのも尤もであると認めることはできない。なお、原告代表者尋問の結果中には、係属中の仮処分事件が大詰めを迎えて結審寸前であったので解決に熟しつつある時期であると判断して団体交渉を申し入れた旨を述べた部分がある。しかし、実際に解雇の撤回を命ずる裁判があったのであれば、これを踏まえて復帰の時期やその後の処遇等について団体交渉を申し入れる必要のあることは否定できないとしても、単に仮処分事件が結審寸前であるというだけでは、その時点で解雇撤回を交渉事項とする団体交渉を申し入れたのも尤もであるとは、到底、認めることができない。

また、原告と会社との関係は、解雇撤回の闘争を続けていた伊藤が原告組合に加入したことによって初めて生じたもので、ほかに会社の現従業員である者がその組合員となっていることも認められないから、両者の関係は、伊藤の解雇問題を除くと懸案事項が全くないという極めて特殊かつ限定的なものであることも看過することができない。したがって、仮に原告の申入れに基づいて団体交渉を行うとしても、その対象が限られたものとなるのは勿論のこと、右交渉は、原告にとっては初めてであっても、会社にとっては支部との間で八年一〇か月前に行った協議の再現となるのは必至であって、殆ど蒸し返し同様のものとなることは容易に推認されるところである。このことは、原告の申し入れた団体交渉が、一般に団体交渉の機能として認められている、労働条件に関する取引の集合化、労使関係に関するルールの合意による形成、労使間の意思疎通のいずれの機能をも持ち得ないことを意味するものである。

5 そして、上述した諸事情、特に、解雇当時に伊藤が所属していた支部による支援、助力の存在、協約所定の協議が多数回にわたって行われた事実、解雇後に伊藤がとった行動の内容、解雇から交渉申入れまでの長期間の経過、その間における特別の事情の不存在、原告と会社間の特殊な関係、会社にとっては重複交渉となる見通しなどの事情を総合的に考慮すると、原告がした伊藤の解雇撤回を交渉事項とする団体交渉の申入れには合理性がなく、会社が前記のような理由を挙げて拒否したことは、右事情のもとでは無理からぬものがあるということができるから、会社がした団体交渉の拒否に正当な理由がないとはいえず、したがって、右団体交渉の拒否は不当労働行為には当たらないと解するのが相当である。

6  なお、原告は、会社に団体交渉に応ずべき義務があることを基礎づけるため、東京高裁が同庁昭和五七(行コ)第一号事件についてした判決を引用している。しかし、<証拠>によると、右判決は、解雇から、一名については六年一〇か月、他の一名については四年五か月後にされた団体交渉の申入れを裁判係属中であることなどを理由に拒否することは不当労働行為に当たると解したものであるが、解雇から団体交渉申入れまでの期間が本件ほどには長期でないこと(一名については本件の半分に止まる。)、被解雇者らは、裁判で解雇の効力を争ってきたのみで、解雇当時所属していた組合によって団体交渉等が行われた形跡はないこと、団体交渉を申し入れた組合は、被解雇者らが他の従業員とともに交渉申入れの五日前に結成したもので、組合加入から遅滞なく団体交渉を申し入れていること、交渉事項には解雇問題だけでなく他の組合員に関係のある合理化や労働協約の問題も含まれていることなどの事情がうかがわれるのであって、本件とは事案を異にすることが明らかであるから、右判決があるからといって、本件において会社に団体交渉に応ずべき義務があると解することはできない。

三そうとすれば、原告の救済申立を棄却した被告の命令は結論的に正当であって、その取消を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官太田豊 裁判官水上敏 裁判官田村真)

別紙命令書<省略>

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